Takeアスリート鍼灸院

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私の還暦の誕生日の2月26日に出場した「ふかやシティハーフマラソン大会」でとても感動することがありました

私の還暦の誕生日の2月26日に出場した「ふかやシティハーフマラソン大会」でとても感動することがありました。(長文なので、悪しからず…)
私の結果タイムはとてもショボかったけど(グロス1時間33分16秒・60歳代13位)ゴール直後にとても感動することがあったんです。
ふかやシティハーフマラソンのラストは陸上競技場の400mアンツーカーのトラック。
競技場に入ってきてから、コーナー廻ってホームストレートの真ん中付近がゴールとなっている。この距離約150m。
つまり競技場に入ってカーブを曲がり直線50mでゴールということになる。
どんなレースでも最後の150mはともかく全力っていうのが私のいつもの走り。
これって遥か昔、私は400mランナーだったから、ラストの150mはもがき苦しんで出し切ってゴールするっていう性がきっと幾つになっても残っているんだと思う。(アトミの練習会でも最後の最後はどうしても出し切るように追い込んで走るので、アトミの仲間達は私の特性をきっとわかってくれるだろう)
だから最後の150mだけはどうしても抜かれたくない。それが若者であってもそうだし、私よりも年配の人だったらよけいに抜かれたくない。
話を戻そう。
競技場に入ってあと150m、徐々にスピードを上げていって加速していく私。このまま一気に周りをまくってゴールする予定だった。
あと130mで、後ろから猛然と抜きにかかる人(Bさん)が…。パッとゼッケンを見ると私とかなり近いので50歳以上は間違いがない、ひょっとすると60歳代かも…。
おい、嘘だろうって慌ててスピードを上げようとした私の横を、Bさんは一気に加速して抜いていくではないか…(驚)大きく綺麗なフォームはきっと昔400mをやっていたに違いない感じ…。私と同じ世代の人が私を離すべく必死になってラストスパートをかけている。。。相手が若者だったら、きっと諦めただろうが、同世代だったらどうしても諦めるわけにはいかない。
ここで元400mランナーのスイッチが切り替わった。
大きく腕というか肘を振り、必死でモモを上げ(私が400mランナーの40年前は、今は完全に否定されているマック式というモモを高く上げる走りが良いとされていたので、どうしても必死になると、昔のモモを無理して上げてもがくという走りが出てしまうのです)。約2m先行するBさんを追う。
ここに爺2人の火花を散らすラスト100mの大バトルがスタートした。
と、その時、なんだかとても懐かしい匂いを感じた。そう、これはまさに昔走ったマイルリレーのラスト100mのあの青春の匂いではないか。。
ラスト90m、左から並びかける私、Bさん、そうはさせじとさらに加速して私をまた1mを離す。
必死になって大きく肘を引き、モモを上げ今度は私が抜き返し逆に1m引き離す。
Bさんも大きく腕を振っていてもう一度加速し、また少し前に出る。
今度は私が身体のしなりを利用して再度スパートして1m前に出る。
するとまたBさんの腕ふりが大きくなりぴったり横に並んで熾烈なバトル。
ゴールラインが見えてきた。あと20m。この時点で全くの横並びの併走状態。
私、この時最後のスパートに向けて、ほんの一瞬、脱力して力を抜き、気持ちフォローティング状態にして体の力みをとる。
あと15m。ここで私、最後の最後のラストスパートをかける。1秒前に力みを抜いたので最後のスパートのキレが増してきた。そしてゴール。。何とか最後の最後Bさんをまくった。
ラスト130mの爺2人の遅れてきた青春の凝縮した時間がやっと終わった。
たったの1秒差だった。
バトった時間は僅か30秒位だったかもしれない。でもこの30秒の間に、凝縮した青春の、あの迸るような感覚をこの歳になってからもまた味わうことが出来たのだ。
ゴールした瞬間、二人はどちらともなく力強い握手を何度もかわし、それでも興奮冷めやらずお互いに強く2回ほど抱き合った。
この瞬間、とても興奮して物凄く感動した。今まで沢山レース走ってきたけど、こんなに感動したのは初めてかもしれない。
結果のタイムはイマイチだったけど、この日はこの感動を味わうために、きっとこのタイムだったのだろう。
人生って、最後まで諦めずに頑張っていると、こうして感動することが起こるんだなぁ(嬉)PS…後日,ネットの結果からお互いメールで連絡がとることが出来ました。Bさんは埼玉G小学校の校長先生でした。私に素敵な走友がまた一人増えました。本当に嬉しいです。
素晴らしい出会いに感謝です。