Takeアスリート鍼灸院

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TAKEの部屋

私の還暦の誕生日の2月26日に出場した「ふかやシティハーフマラソン大会」でとても感動することがありました

2017.03.03

私の還暦の誕生日の2月26日に出場した「ふかやシティハーフマラソン大会」でとても感動することがありました。(長文なので、悪しからず…)
私の結果タイムはとてもショボかったけど(グロス1時間33分16秒・60歳代13位)ゴール直後にとても感動することがあったんです。
ふかやシティハーフマラソンのラストは陸上競技場の400mアンツーカーのトラック。
競技場に入ってきてから、コーナー廻ってホームストレートの真ん中付近がゴールとなっている。この距離約150m。
つまり競技場に入ってカーブを曲がり直線50mでゴールということになる。
どんなレースでも最後の150mはともかく全力っていうのが私のいつもの走り。
これって遥か昔、私は400mランナーだったから、ラストの150mはもがき苦しんで出し切ってゴールするっていう性がきっと幾つになっても残っているんだと思う。(アトミの練習会でも最後の最後はどうしても出し切るように追い込んで走るので、アトミの仲間達は私の特性をきっとわかってくれるだろう)
だから最後の150mだけはどうしても抜かれたくない。それが若者であってもそうだし、私よりも年配の人だったらよけいに抜かれたくない。
話を戻そう。
競技場に入ってあと150m、徐々にスピードを上げていって加速していく私。このまま一気に周りをまくってゴールする予定だった。
あと130mで、後ろから猛然と抜きにかかる人(Bさん)が…。パッとゼッケンを見ると私とかなり近いので50歳以上は間違いがない、ひょっとすると60歳代かも…。
おい、嘘だろうって慌ててスピードを上げようとした私の横を、Bさんは一気に加速して抜いていくではないか…(驚)大きく綺麗なフォームはきっと昔400mをやっていたに違いない感じ…。私と同じ世代の人が私を離すべく必死になってラストスパートをかけている。。。相手が若者だったら、きっと諦めただろうが、同世代だったらどうしても諦めるわけにはいかない。
ここで元400mランナーのスイッチが切り替わった。
大きく腕というか肘を振り、必死でモモを上げ(私が400mランナーの40年前は、今は完全に否定されているマック式というモモを高く上げる走りが良いとされていたので、どうしても必死になると、昔のモモを無理して上げてもがくという走りが出てしまうのです)。約2m先行するBさんを追う。
ここに爺2人の火花を散らすラスト100mの大バトルがスタートした。
と、その時、なんだかとても懐かしい匂いを感じた。そう、これはまさに昔走ったマイルリレーのラスト100mのあの青春の匂いではないか。。
ラスト90m、左から並びかける私、Bさん、そうはさせじとさらに加速して私をまた1mを離す。
必死になって大きく肘を引き、モモを上げ今度は私が抜き返し逆に1m引き離す。
Bさんも大きく腕を振っていてもう一度加速し、また少し前に出る。
今度は私が身体のしなりを利用して再度スパートして1m前に出る。
するとまたBさんの腕ふりが大きくなりぴったり横に並んで熾烈なバトル。
ゴールラインが見えてきた。あと20m。この時点で全くの横並びの併走状態。
私、この時最後のスパートに向けて、ほんの一瞬、脱力して力を抜き、気持ちフォローティング状態にして体の力みをとる。
あと15m。ここで私、最後の最後のラストスパートをかける。1秒前に力みを抜いたので最後のスパートのキレが増してきた。そしてゴール。。何とか最後の最後Bさんをまくった。
ラスト130mの爺2人の遅れてきた青春の凝縮した時間がやっと終わった。
たったの1秒差だった。
バトった時間は僅か30秒位だったかもしれない。でもこの30秒の間に、凝縮した青春の、あの迸るような感覚をこの歳になってからもまた味わうことが出来たのだ。
ゴールした瞬間、二人はどちらともなく力強い握手を何度もかわし、それでも興奮冷めやらずお互いに強く2回ほど抱き合った。
この瞬間、とても興奮して物凄く感動した。今まで沢山レース走ってきたけど、こんなに感動したのは初めてかもしれない。
結果のタイムはイマイチだったけど、この日はこの感動を味わうために、きっとこのタイムだったのだろう。
人生って、最後まで諦めずに頑張っていると、こうして感動することが起こるんだなぁ(嬉)PS…後日,ネットの結果からお互いメールで連絡がとることが出来ました。Bさんは埼玉G小学校の校長先生でした。私に素敵な走友がまた一人増えました。本当に嬉しいです。
素晴らしい出会いに感謝です。

ランナーズ2017年4月号に『Takeメソッド』が4ページにわたって紹介されています。

2017.02.22

今日発売(2017年2月22日発売)のランナーズ4月号に私の「疲労抜きJOG」を推奨する『Takeメソッド』が4ページにわたって紹介されています。掲載ページが限られているので、言いたいことの3割位しか伝えることが出来ませんでしたが、この記事を読んで「疲労抜きJOG」の事をもっと知りたいと思うのでしたら、本も2冊ほど出しているので読んでみてください。

私の『疲労抜きJOG』の本を読んで、信じて、そのまま実践して最近一気に沢山のランナーが目標を達成している感じなので、こうしてランナーズでも取り上げられた感じです。

最近になってよりいっそう思います、『疲労抜きJOG』って本当に魔法みたいだなぁって。。

 色々なマラソン理論があります。

有名な元選手が書いた理論が超一流クラスから下に下りてきた理論だとすると、私の理論は運動音痴のごく普通の一般人、つまり底辺から上に上がってきた理論。

治療家というか、指導者は、自分の理論に自信が無ければ務まりません。

だから人それぞれで、実に多くの理論ややり方があるのでしょう。

私の理論は、鍼灸師として、人の身体に触れることから身体の疲労を除去していく事の必要性から出てきた理論。

有名な元選手が書いた理論は自分の頑強な身体から直に発せられた理論。

私は私のやり方が多くの市民ランナーには正しいと思っているので、自信を持って推奨しているだけ。

有名な元選手達も自分の理論に絶対に自信を持っているはず。

だから理論色々、当然、俺の理論に合わない人も沢山いますし、有名な元選手が書いた理論にも合わない人もいるんです。

だからひとそれぞれ、自分に合った理論をじっくりと考えて、それをやればいいんです。

マラソン理論は実に沢山あるのですから…。

ようは、自分が色々勉強してからやっと選んだ練習を自分が納得してやることが大事、つまり納得してやらないと絶対に効果が出ないものです。

1970年(昭和45年)12月・京都駅0番線・山陰本線ホームにて

2016.12.13

2016年8月16日 佐渡

2016.09.17

Take`s Nostalgic Scene (50 Years Ago )を作るにあたって

2016.09.17

私は小学校低学年の頃から何故だか鉄道が好きだった。
特に熱くなったのは12歳だった中学1年の時、昭和44年(1969年)の秋に友達と八高線に蒸気機関車を撮影しに行った頃からだった。
東飯能~高麗川間を歩いて移動して撮影したD51の勇姿にとても興奮して感動した記憶が今でも脳裏にしっかりと焼きついている。
特に熱い時期は高校1年の夏まで約3年続いた。
3年で冷めてしまったのは消え行く蒸気機関車の撮影をしようと一気に鉄道ファンが増えてきてしまい、つまりSLブームが最盛期になる前に、狂騒劇に相乗りするのは性格上気乗りしなったからである。
高校1年の夏で寝ても冷めても鉄道って感じの熱中は卒業したが、それ以降40年以上も鉄道ファンは続けてきて今日に至る。
 
最近、昔のネガの多くをデジタル化してみた。
実は今から50年以上前の、私が小学校低学年の頃までのネガが酸化してきて曲がりや歪み、縮み、溶融、癒着などを引き起こしてしまっているのを発見したのである。
この現象はビネガーシンドロームといってフィルムを構成する素材「セルローストリアセテート(TAC)」が湿気や熱によって化学変化を起し、酢酸化してしまう現象のことで、このまま放置しておくと、子供の頃に必死になって撮影した大事な想い出が消えてなくなってしまうぞと、ビネガーシンドロームに侵されていない昔のフィルムを急いでデジタル化してみたというわけなんです。
かなりの枚数になったが、なんとかデジタル化が出来たので、折角だからアーカイブしておこうと考え、これから空いた時間をつかってこのブログ上にUPして行こうと思います。
ただの「鉄ちゃん」趣味の自己満足の世界なのですが、自分が昔から大好きだった『鉄道』の想い出の折角だから残しておこうと思います。(Take)
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