Takeアスリート鍼灸院

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鉄っちゃんの部屋

2014年5月 新潟駅

2015.08.05

2007年5月20日『大人の遠足』…36年振りに只見線のC11に乗り青春時代にタイムスリップ

2015.07.30

会津付近は曇り→小雨→晴れ→曇り→小雨。
昼の気温は15℃位とちと寒め。

今日は前からずっと楽しみにしていた『旅』の日なのだ。

実は5月14日~24日まで50歳以上の大人の休日倶楽部ミドル会員ならばJR東日本管内が1日乗り放題で6000円。

たった6000円で沢山移動出来るというわけだ。

その特典を利用して最近無性に大好きな蒸気機関車の煙りの匂いを嗅ぎたくなっていたので、丁度19、20日に只見線の会津若松~会津川口~只見をC11が復活運転するし、磐越西線の会津若松~新潟までC57の特別列車も走っているので、それに乗車しに是非とも行ってみよう思っていたのだ。
ついでに上手く行動すれば前から行きたかった会津の名刹『勝常寺』の仏像もみることが出来るし…。

てなわけで、『オジさんの遠足』の一日の日記だ。
(今日のはたぶん凄く長くなると思います…)

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5時起床。
治療院で目覚める5月4回目の朝(今年累計22回目)
たった3時間半睡眠で眠いけど,好きなことやるときは起きられるんだよね。

当初一人旅の予定だったが、中学時代の『鉄』の大親友、O田君との二人旅となる。

…………………………………………

O田君とは早稲田中学・高校時代の同級生で、その時代に一緒に『鉄』を極めた同志なのである。
当時『鉄』仲間は数多くいたが、東西の横綱格は自他とも認めるこの私とO田君であったのだ。←阿呆みたいに自画自賛(笑)

彼と最後に二人で旅行に行ったのが社会人2年目の1981年だったから今から26年前ということで、この時は京都の寺巡りだった。

また彼と保存SLを撮影にいったのは大学2年の時の大井川鉄道だったからこれは今から31年前。

また彼と現役の当時国鉄のSLを写しに行ったのは、高校2年の修学旅行の自由行動時、関西本線の木津付近でD51を撮った34年前。

そんな彼とは強烈な想い出がある。
高校1年の夏、この私は一人旅で12日間の九州一周の旅に出かけた。
カメラと三脚と当時発売されてベストセラーとなっていた五木寛之の『青春の門・筑豊篇』を小脇に抱えて…。

それは筑豊の炭鉱地域のボタ山をバックに石炭列車を撮影し、強烈な満足感を味わいつつ次の目的地、大分県の中津のユースホステルに行くべく夕方日豊本線で南下している途中の行橋駅での想い出だ。

門鉄デフのC50があることで有名だった行橋駅に夕方4時到着。
連日のハードな行程で非常に疲れていたのでボッーとして車外を眺めていた私は一つ線路を挟んだ向こう側のホームの進行方向遠くのベンチで駅弁をとても美味そうに、またとても腹が減っているのかむさぼるように食べている一人の少年をみつけた。
彼の向こう側に、田川線の貨物列車を引く9600型蒸気機関車が少し煙りを吐いて停まっていたっけ…。

私はその時
「何故あいつ、安い立ち食いそばを食べないのかなぁ?」
とふと思い、また「あいつずいぶん美味そうに食ってるなぁ、そういえば腹減ったなぁ、あの弁当食いたいなぁ…」
とよだれをたらさんばかりに強烈に思ったのを35年前なのに今でも不思議と鮮明に憶えているのだ。

あの時この私は高校1年だったから親の脛かじりだったので超ケチケチ節約旅行だった。
そんなこんなでずっと腹を空かしてのギリギリの旅をしていたのだ。

3分くらいの停車で日豊本線大分行きの列車は発車。
列車が動き出したので一心不乱に弁当を美味しそうに食べている少年の姿が近づいてきた。

「あいつ良いなぁ,美味そうだなぁ」と思い、はたしてどんな顔した奴なんだろう?と仰視していたら…。
なぁなんと、同級生のO田君じゃないではないか!
なっなんでこんな片田舎の行橋駅にいるんだ。

私思わず窓から身体を乗り出し思いっきり手を振って『お~い、お~いO田。』と絶叫。

その声に気付いたO田君。
手には箸を持ったまま『うぁ~っ、タケオ!』と手を振るというか箸を振っている。

これって東京の高校の同級生が偶然九州の片田舎で僅か10秒位会ったという,大して面白くも無いシチュエーションなのかもしれないが、こんな些細な出来事が何十年経った今でも鮮明に思い出す事が出来るのは、ひとえに腹が減っていた事がその場面を結び付けているのかもしれないが…。
こんな事思い出すのもきっと歳をとってしまったからなのだろう。

いづれにしても、あれは輝く青春の良き瞬間だったんだよね。

…………………………………………

5時37分治療院を出て,門仲5時43分の東西線に乗り大手町へ。
大手町から早足で東京駅には6時丁度に着く。

≪当初の予定では
東京6:04(やまびこ41)→郡山7:24。
郡山7:52→会津若松9:06。9:10発の只見線C11を見送る。
(9:10~15:25会津若松・喜多方周辺、勝常寺、温泉、ラーメン等FREE。)
会津若松15:25(SLばんえつ物語号)→新潟19:00。
新潟19:18(とき348)→東京21:20。
東京21時25分→稲毛22時03分。
22時半頃帰宅てな感じになっていた。≫

東京駅発6:04・やまびこ41号の指定席はほぼ満席で一路郡山へ。
車中で昨日買っておいた見切り品のオニギリの朝飯。(只今金欠状態というか,脱サラしてからいつも金欠な私…それが何か?)
郡山は7:24定時到着。

ここで自由席に乗っていたO田君と合流。

彼と会うのは約2年振り。
彼がギックリ腰で治療に来てくれた時以来だ。

郡山からは磐越西線2両編成の旧い交流電車クハ455の臨時快速「SL会津只見新緑リレー号」だ。

久しぶりに会ったので話が弾み,あっという間に会津若松に定時の9:06分到着だ。

隣りのホームにC11‐325が旧型客車を3量繋げて蒸気を吹かして発車を待っている。
SL会津只見新緑号の発車は9:10分接続がたった4分なのだ。
この列車は全席指定席で、1か月前の発売とほぼ同時に売切れだったらしい。
どうやら旅行会社が買い占めた感じ…。
ということで、僕らは指定券が取れなかったので残念ながら乗る事が出来ないのだ。
ジグジョ~乗りたいよ~。

ホームに会津若松駅の助役サンがSL会津只見新緑号の見送りに来ていたので聞いてみる。
私『すいません、指定席取れなかったんですが、何とか乗れませんか?只見線36年振りに来たんです。お願いします』

助役サン『そうなんですか…。ちょっとお待ち下さい。車掌に聞いてみますから』

発車ベルが鳴った。ああ駄目か…。

助役さん『車掌が2人なら何とかいいそうです。どうぞ乗ってください』

私『いやぁ嬉しいです、有難う御座います』

というわけで、36年振りに只見線のSLに乗れる事になった。
滅茶苦茶嬉しい。
思わずO田君と感激の握手だ。

このSL会津只見新緑号は、昭和21年製のSL C11-325型蒸気機関車(真岡鐵道所属)が昭和26年に製造された旧型客車スハフ42(秩父鉄道より貸与)の3両編成の定員約250人でJR只見線の会津若松~只見間を引っ張り、会津柳津からは風光明媚な只見川に沿って走り、同区間の七日町、西若松、会津坂下、会津柳津、会津宮下、会津川口の六駅に途中停車するというもの。
この列車は奥会津の観光活性化などを目的に、2001(平成13)年から毎年、定期的に運行しているという。

私はこの只見線が好きで中学の頃何度か足を運んだ。

特に中学3年の昭和46年の夏の旅行では、途中の無人駅・会津桧原付近(当時はこの駅の周辺には見事に何も無く、森の中にただポツンと駅だけが存在していた感じであった…)でSLを撮影していたのだが、余りにも喉が乾いたのでようやく見つけた一件の民家で『スイマセン、水を飲ませてください』
とお願いしたところ、そこのオジサンがとても親切な人で、なんと結局一晩泊めていただき、田舎の美味しい食事までご馳走になったという、元祖『田舎に泊まろう』的な涙ウルウルの素晴らしすぎる想い出の残る旅が出来たのであった。

たしか阿部さんというオジサンだったと思うが、36年後の今は80歳位になったと思うがきっといまだ健在だと思うので、今度是非ともあの時の御礼も兼ねて挨拶に行かなくてはいけないよね。

とこかくSLはこのような只見線の片田舎の架線の無い非電化区間が良く似合い、25パーミルの坂を登っていくブラスト音と煙りの匂いは圧巻で、何度も滅茶苦茶泣きそうに感激しながら2時間ちょっとで会津川口に到着。

この列車の会津川口駅出発の写真を撮り、40分後に会津若松にもどるディーゼルカーが発車するまでしばしの休憩。

田舎の風向明媚な駅でボケーとしている時間って今の自分には物凄く貴重なんだよね。

でも心なしか会津川口の駅とても寂しい感じ。
小雨が降っていて寒いからかもしれないが…。

実は5日前の15日、この人口たった1000人の金山町に住む47歳の保育園に務める女性が殺されたのである。

そう、あの2007年5月15日朝、会津若松市内に下宿している高校3年生17歳の男子生徒が、母親を殺害したと警察に自首してきて、なんと彼は、切断した母親の頭部をバックに入れて持参してきた事件だ。

また遺体切断に使ったのこぎりを事前に購入していて、さらに後の報道によると母親の右腕も切断し、白い塗料を塗った上で、植木鉢にさしていたという。
あの凄惨な事件の母親はこの会津川口、金山町の住民だったのである。

こんな素晴らしい田舎なのに、なんという猟奇的で凄惨な出来事がおこったのであろうか…。

気持ちを切替え日記は続く。

12:33分発のディーゼルカーで会津板下に向かって出発。
途中パンの昼飯となる。時間が無いので仕方が無いが、かなりひもじい。

13時51分、会津板下到着。
何故か一気に天気が晴れてきた。太陽が覗いている。

駅前のタクシーの運ちゃんに、勝常寺までいくらかかるのかと聞くと『2500円くらい』と答える。
『バスありますか?』と聞くと、親切に『300m向こうの国道まで行くと、1時間に一本位路線バスが走っているよ』と教えてくれた。

で、倹約のため行ってみることに…。

ラッキーな事に14時04分発のバスがあるではないか。
程なく誰も乗っていない会津バスがやってきた.

私『勝常寺は何処で降りたらいいんですか?』

運転手『佐野という所で降りて歩いて20分くらいですよ』

我々は会津若松発15時25分の新潟行きC57牽引の『SLばんだい物語号』に乗ることになっているというか絶対に乗らなくてはならないのだ。

時間が無い。
でもなんとかして勝常寺見たい。

佐野には14時14分到着。

で、O田君には申し訳無いが、勝常寺まで走る事に…。

徒歩で20分のところ、9分でカバー。
この私、日頃走っているのでたいしたこと無いのだが、ファイトで頑張って走ってくれたO田君、ありがとうです。

でも実はこの私、バックがとても重かったのでかなりキツかったのです。
会津川口駅で観光協会のオジサンが、【只見の天然水で造った美味しいサイダー】を無料で配っていたので何本か貰っていたのだ。
おじさん『何本でもいいよ~』って言ってたから調子に乗って貰ってきたのだがかなり重たかったのだ。
《家に帰ってから見てみると1リットルのペットボトルが9本も入っていた。なんというセコサなのだ(笑)》

で、勝常寺。

大同二年(807年)、 名僧・徳一上人により 創建された勝常寺は、 国宝薬師三尊(薬師如来、日光・月光菩薩)をはじめ 国重要文化財の指定をうけた仏像9体をもつ東北でも有数の名刹だ。全国的に見ても国宝の仏像はそう多くないし、奈良・京都以外の県では非常に少ないので、この会津の勝常寺は奇跡の寺と言われているのである。

本当に来て良かった。

事情を説明したら、住職さんがタクシーを手配してくれる事に…。
その間、住職夫人が案内してくれるという。嬉しい!

拝観料500円を払う。
薬師堂は足利時代に建立された国重文の建物でありこの中に厨子があり薬師如来坐像が安置されていた。
厨子は布で覆われているが紐を引くと開いて薬師如来坐像を拝観できる仕掛けになっている。
ご開帳っていう感じでこれがまた良いんだよね。
このお堂は火事を恐れて電気機器は敷設されていないそうで、懐中電灯で照らしながらの説明となるが、これが実に素朴でいいのだ。
この国宝の薬師如来坐像の座高は136.7cm 半丈六仏である。
実に荘厳だ。

収蔵庫の方はは鉄筋コンクリート造りの建物で耐火性は万全で、内側は杉材で内装されていた。
木の香が実に良い。
収蔵庫には11躯の仏像が安置されており、国宝の日光・月光量菩薩立像、以下、国重文の十一面観音菩薩立像・地蔵菩薩立像(雨乞い地蔵)・聖観音菩薩立像・地蔵菩薩立像(延命地蔵)・天部立像(伝虚空蔵菩薩立像)・四天王像(持国天・増長天・多聞天・広目天)が安置されてある。
11躯の仏像全部が立像で全部良いのだ。
凄い。
(尚、四天王像の中、広目天像は東京国立博物館に寄託されて、東京に出張中だそうだ。)
これだけの仏像が東北の会津の小さな寺にあることは本当に信じられない。

この寺、数年前に五木寛之が『百寺巡礼』で紹介してやっと陽の目が出たが、今でも殆どガイドブックにも紹介されていない秘寺なのである。

住職サン、奥さん、本当に有難う御座いました。
30分間でしたが中世にタイムスリップ出来ました。

お礼も込めて一個400円お守りをの妻と自分に購入。
『どうかご利益がありますように…』

拝観し終わると、ジャストタイミングでタクシーが到着。

会津若松まで、ジャスト3000円。
15時15分到着。

間に合った。会津若松発15時25分の新潟行きC57牽引の『SLばんだい物語号』に無事に乗れるぞ!

全てOKだ。

で、C57牽引の『SLばんだい物語号』。

このC57‐180は昭和21年製。
大きな動輪と細いボイラーにより優美に見えるその姿から“貴婦人”という愛称で親しまれてきた。
180号機は鉄道の要衝、新津で静態保存されていたが、市民の要望などにより1999年に動態復元。
磐越西線を走る季節定期列車「SLばんえつ物語号」としてグリーンシーズンの週末を中心に運行されている。
牽引される客車は12系を改造、木目調を多用した内装や車体の配色など、大正ロマンを彷彿とさせるレトロな雰囲気を漂わせてはいるものの、やはり改造車なので取って付けたような感じがしてはっきり言って好きではないというか、嫌いだ。
只見線の本物のレトロ客車の方が百倍良いんだよね。

定刻の15時25分定刻に出発だ。
最初の停車駅であるラーメンで有名な喜多方まで,会津盆地ののどかな田園風景の中を走る。新潟までの所要時間は3時間44分。
こんなにも長い時間素敵な汽車旅を満喫出来るという訳だ。

阿賀野川に沿った実に風光明媚な所を進み、今日の旅の余韻に浸りながら定刻の19時丁度に新潟駅に到着。

19時18分のとき348号に乗りこみ疲れてウトウト…。
上野でO田君とバイバイとなる。(有難う、凄く楽しかったよ。また是非絶対に行こう!)
東京には定時の21:20到着。

800キロ位JR乗って、これでたったの6000円…。
大人の休日倶楽部万歳、50歳以上万歳って感じだよね…。

普通は10分はかかる乗換えを速攻で走ってなんとか総武線快速の21時25分に間に合わせ、稲毛には22時03分に到着。

もう遅いので、夕食はいらないと言ってあるので、自宅近くの美味しい『千成ラーメン』で一人満足の夕食となる。
沢山トッピングして、しめて1150円也。
まあタマにはいいよね。
今日はとても楽しかったから…。

また是非『大人の遠足』をしていきたいと思う。
旅ってとても人生の癒しになるんだよね。

23時帰宅。

ゆっくり風呂に入って0時半就寝。

今日は本当に至福の一日であった。

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床は全面が木製、ボックスシートや壁面はニス塗りされた輝きが車内全体を包み、大変美しい雰囲気を持っています。

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